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賛同してくれる人だけ賛同してくれたらいいです。

若い頃のあるあるだと思うんだけど、
コンドーさんを買うのって、
超絶恥ずかしいよね?

なので、すっとぼけて、
何かを買うついでみたいな顔をして、
馬鹿だから風邪なんか引かないのに、
風邪薬の箱と重ねて
レジに持ってったりするんだよね(笑)

でね。
そのときに絶対に間違えちゃいけないのが、
ユ○ン○ル黄帝液と一緒に持ってくこと。

逆に、ヤル気満々じゃん(笑)





『ばいたる道場東京三期生』に、
プロの漫画家さんがいらっしゃいます。


実は、お友達にもうひとり漫画家さんがいるんだけど。
ほんと、すごいんだよね。この人達。


バイクのコーナーリング写真ってあるでしょ?
それをコーナーの内側から撮った写真を見ながら、
外側から見たアングルの絵を描くの。


素直にすげぇって思います。



あ、また話が逸れた・・・・。




その三期生の漫画家さん。
中三の娘ちゃんが、
ちょっと重い障害を持ってて、

3年くらい前から定期的に、
その子への施術をさせてもらってます。



でね。

灯里(あかり)ちゃんっていうんだけど、
この子もすごいの。

言葉を上手く発せられないのに、
特定の人とは
テレパシーで会話してるの。

信じられないかもしれないけど、
ほんとにそうなの。

なんかね、ヒトという生き物の
どんでもない可能性を感じさせてくれる子なんだ。



前置きが長くなりまくりですが、

その三期生の漫画家さんが、


お母さんとして、
灯里ちゃんとのこれまでの日々を、
作品に描かれています。


その本を買おうとおもったんだけどね。

ハレクインリサイズ



恥ずかしすぎる・・・・。




最近の本屋さんって、
本以外にも色々なものを売ってるじゃない?


年明けに、今年の手帳を探していたときに、
たまたま、欲しいなぁと思いながらも
買わなかったものがあるんだけど。


ウイスキースキットル。

ウイスキースキットルリサイズ


若かりし日に、
風邪薬と一緒にコンドーさんを買ったときみたく、

これと、重ねてレジに持って行きました。

そのためだけに、
車で30分以上かけて、
埼玉県某市の書店まで行きました(笑)


あ゛~ 恥ずかしかった


しょうもないことをダラダラと書いたけど



ハーレクインオリジナル6月号


絶賛発売中です。


あ、作家さんの名前は

響 直美さん


作品名は

灯里きゃんどるです。


これ、連載なんだって。
来月以降、どうしよう・・・・















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2019.05.15 / Top↑
ご無沙汰しております(笑)

ってか、これ読んでくれてる人いるのかなぁ。
前回の記事って、一昨年の夏じゃん(笑)(笑)

それはともかく・・・・

昨日、昨年6月にスタートした 
『ばいたる道場 東京一期』
の全12回の講義が修了しました。

毎月1回開講で、1年間。



僕のやっている施術は特別なことじゃなく、
誰にでもできること。

誰しもが持っていて、当たり前のように
使っている

『生命力』

を、人よりちょっと上手に使っているだけ。



そして、これが一番大切なのだけれど、

『生命力』って、

中国では
『氣』

と呼ばれてるし、

インドでは
『プラーナ』
と呼ばれてて、

つまり、
中国では、気功や功夫(カンフー)、風水に使われてるし、
インドでは、ヨガに使われてるもの。


だから、きちんと理解して、正しく使うことができれば、

気功が目指していることも、
功夫が目指していることも、
風水が目指していることも、
ヨガが目指していることも、

それを専門に修行されている方々ほどではないけれど、
何となくはわかってくるものなんです。

勝手なイメージだけれど、

気功の達人が悪者を吹き飛ばしたり、
功夫の達人が怪我した人を癒やしたりするでしょ?

あんな感じ。

そのために、1年間という長いスパンで開講したのだけれど。


何かね、お正月とかお盆とかの、
親戚の集まりみたいな場になってたなぁ(笑)



僕は130歳まで生きるので、
そろそろ人生の半ばに差し掛かったくらいなんだけど、

人生が進むにつれて、
自分の周りには大切な人しかいなくなってきた。

違うな。
周りにいてくれる人がみんな、
とても大切で愛おしい人ばかりになってきた。


アシスタントのまこさんは、
自分を含めて『門下生』って呼ぶけれど、

僕にとってはみんな家族親戚としか思えません。



全12回を終えましたが、

みんながまだ終わりたくないと言ってくれるので、
来月もまた集まるそうです(笑)




そして、
職業として施術家をさせて頂くようになって
今月で丸5年なのですが、


東京一期のみんなは既に、
おこがましくも施術家を名乗っていた
5年前の僕よりも、

遙かにクオリティーの高い施術をマスターしています。

何か、5年前に僕の施術を受けてくださった人に
申し訳ない気持ちです。

当然ながら、僕自身も5年前よりも
遙かに成長していますので、
当時、僕の施術を受けてくださった人には、
今の僕の施術をお見せしたいなぁ。


それはともかく、
東京一期のほとんどの人は施術家になりたいわけではないみたい。

『生命力』というエネルギーを理解したことで、

できるようになったことのひとつが施術ってこと。

まぁ、僕も施術を教えて施術家を育てようと思っているわけではないし。


一番伝えたかったことはちゃんと伝わっているはず。

その成果なのかなぁ?
あまり大きな声では言えませんが・・・・

東京一期生は、全員仕事を辞めました。


反対に、声を大にして言いますが、

それは僕のせいではないからね(笑)



そして、今日はお袋の15回目の命日です。

生きてるうちにはほとんど孝行できなかったなぁ・・・・。

ごめんなさい。




でもね、今の僕は

たくさんの大切な人に囲まれて、


本当にしあわせです。



お母さん。
心からありがとう。
2019.05.14 / Top↑
今回は真面目な、
そして、僕の施術にも深く関係しているお話を。

わざわざカテゴライズするものでもないと思いますが、
僕の施術は【エネルギーワーク】に分類されるものです。

でね。
初めて施術をさせて頂く方にはよく聞かれるんです。
『しげさんが施術に使うエネルギーは【氣】ですか?』
って。

そう聞かれた場合、僕の返事は
『そうですね。中国では【氣】と呼ばれているものです』

そして、それに続いて
『インドでは【プラーナ】、ハワイでは【マナ】と呼ばれていて、
要するに、世界中の人が昔からその存在には気付いてたものです』
となります。


同様の質問で
『しげさんの施術は【氣功】ですか?』
というのがあるんですが、
その場合は、僕の回答は
『ん~、違います』
となります。

あ゛?何を言ってるんだ、このハゲは?
と思ったでしょ?
違います!
僕のこれは
【禿髪】ではなく【剃髪】です!!


いやいやいや、そうじゃなくて。

【氣功】って
【氣】+【功】でしょ?
この時の【功】って
【功夫(カンフー)】の【功】と同じで

『ひとつの業を身に付けるため、
 長期に亘って反復して鍛錬を繰り返すこと』
『或いは、それによって身に付いた業のこと』
って意味なんですよ。

施術により実際に起こっている、起こしている変化は
【情報の書き換え】なので
【氣功施術】とよばれているものとほぼ同じなんだけど、

僕の場合、生まれつきこういう身体で、
エネルギーワーカーになるための
長期に亘る鍛錬はしていないので、

『【氣功】という言葉は使うべきではない』
ということに強く拘っています。


そんな偏屈オヤジの拘りはともかくとして、
こういうエネルギーって、すごいんですよ。


僕なりの解釈ですが、

ヒトは、というよりも生物は、
自らの生命活動のために
【氣】と呼ばれている何某かのエネルギーを
体内に取り込んで使わせてもらっており、
生物が体内に取り込んだ状態の【氣】は、
【生命力】と呼ばれます。

そして、【空気】という言葉があるくらい、
【氣】というものは特別なものではなく、
それこそそこらじゅうにたくさんあって、
『どうぞご自由にお使いください』
と言われている無限のエネルギーなんです。


でも、ただのエネルギーなので、
【氣】には何の意味もなく、
根源的には【良い氣】も【悪い氣】もありません。

ところが、ヒトという面倒臭い生き物が、
自らの生命活動の源として【氣】を体内に取り込んだ途端、
その【氣】にはそのヒトの心の在り方が情報として
書き込まれてしまいます。

そして、

【氣】=【空気】とも言えるので、
【空気】を媒体として介在させて
各人が体内に取り込んでいる【生命力】は全て
繋がっているとも考えられるわけで・・・・。


たとえばね。

真っ白な一枚の紙がテーブルクロスのように敷いてある
大きな大きなテーブルがあって、
各椅子の前には36色の色鉛筆が置いてあります。

そして、
『好きな席にご自由にお座りください』
というアナウンスが流れている、
そういうシチュエーションを想像してみてください。

そんな中、
先に席についている誰かが黒の色鉛筆を握りしめ、
虫眼鏡がなければ読めないような小さい文字でぎっしり
【恨みます】とか【怨】とか【呪】とかって書いたら?

その人の隣に座るのは絶対にイヤでしょ?

反対に、可愛い色の可愛い文字で
【私は今、とっても幸せです】
とか
【大好き】
とか
【ありがとう】
とか書いてる人がいたら?


【氣】のそして【生命力】の本質とはそういうものだと思います。

そして、【エネルギーワーク】にカテゴライズされる施術は
対象者の目の前に小さくぎっしりと書かれている
【恨みます】【怨】【呪】などの文字を
大きな消しゴムで真っ白に消してあげるか、

或いは綺麗に消した後で
【幸せ】【大好き】【ありがとう】などの文字に
書き換えてあげるか。

そういうことなんじゃないかな、と。



【穏やかな心の在り方を伝える】

その方法論として、
僕は対象者に触れることが多いけれど、

空気(厳密には空気中に存在する【氣】)
を媒体として全てのヒトが体内に持っている
【生命力】は繋がっているので、

別に対象者に触れなくても、
施術の効果は伝えられるわけです。



例によってすごく長くなりましたが、
ここまでが前置きね(笑)



昨秋からご縁をいただいた人なのですが、
僕が心から尊敬しているアーティストがいます。

一時期、毎週水曜日には
船橋にあるスタジオに出張店舗という形で
治療院をださせていただいていたのですが、
彼はそのスタジオで夕方からの数時間、
ボイストレーニングをしていました。

個人レッスンとか、グループレッスンとか、
クラスは様々でしたが、
毎週それを覗き見るのが楽しみでね。

何というか、ドラマを見てるみたい(笑)

『お前はそんな歌で何を伝えたいんだよ!』
『そんな歌しか歌わないんだったら、歌なんかやめちまえ!!』
とかね。

当然、泣き出してしまう生徒さんだらけ(笑)

でもね、そこまで怒鳴りまくった直後でも、
生徒さんがちゃんと歌えたら
『そうそう、今のでいいと思うよ』
って。

あぁ、この人は怒ってない。
愛情を込めて叱ってるんだ、って。


でね。時々手本を見せるために
トレーナー自身が歌ったりもするんですが、

軽~く口ずさむように歌っただけでも、
ぞわ~っと鳥肌が立つんですよ。
涙が出そうになったり。



そんな彼(優一=優さん)と少しずつ親しくなっていったある日。

レッスン中に
『ねぇ、しげさん。歌ってすごいエネルギーがあると思うんですよ』
『誰に言ってもわかってもらえないし、トレーナー仲間からも全く理解してもらえないんだけど、これって【氣】ですよね?』
って言われて。

『うん、そだね。そうだと思うよ』
『優さんの歌、すごい【氣】がこもってる』
『それを教えたいんでしょ?』
みたいな返事をしました。

そしたら、
『やっとわかってもらえる人に出逢えた』
『この子、時々声に【氣】が乗ることがあるんですけど、もう少し【氣】が出せるようになりませんか?』
ってことになり、気が付けばここ半年くらい、
優さんのボイストレーニングというか
ボーカルレッスンというか、
お手伝いをさせてもらっています。

なかなか言葉で説明しづらいんだけど、
新しいボーカルメソッドを何とか具現化しようとしている、
そういうイメージかなぁ。


この優さんってトレーナー、
自身もシンガーなんだけどね。

僕とは選んだ方法論が違うだけで、

【超一流のエネルギーワーカー】です。


僕の施術では、身体を癒す一環として
腕~肩を完全に脱力させて、
筋肉を徹底的に緩めたりするのですが、
その結果、
緩めた方の腕が10cmほど長くなったりします。


信じられないかもしれないけど。
そして、不思議と全然悔しくならないんだけど。

優さんが、僕のこの施術と同じ効果を意図しながら
腕~肩に向けて歌を歌うと、
対象者の腕が僕の施術と同じくらい長くなったりするんです。


まだ、親しくなる前。
こっそりレッスンを覗き見していた頃に優さんが生徒に言ってた言葉なんだけどね。

『息に心を込めるんだよ』
『息に気持ちを乗せるんだよ』
『それがお前の【生きざま】なんだよ』
『【生きざま】が乗らないんなら、この歌をお前が歌う意味がないだろうが』
『そんな誰が歌っても同じ歌しか歌えないんなら、俺のレッスンを受ける必要なんてない。やめちまえ!!』

【心の在り方】がそのまま歌になる。

まぁ、そういうことです。

いま、このボーカルメソッドを具現化するために、
10人の生徒が人生をかけて、
自分の【氣持ち】を【息吹】に乗せ、
【息吹】を声に載せて魂の歌を歌おうと
必死に取り組んでいます。



それこそ生活のすべてをかけて
【氣持ち】のこもった歌に取り組んでいる。


千日の稽古を【鍛】とし、
万日の稽古を【錬】とす。

剣豪、宮本武蔵の言葉です。

この【鍛錬】が身を結び、
最近では、この10人が力を合わせて歌えば、
僕の施術や、優さんの歌のように
対象者の腕がびっくりするくらい
長く伸びるようになってきました。



そんな生徒10人のライブを開催します。

ライブのイベントページはこちら


メンバーリサイズ


とんでもないボルテージの
癒しのエネルギーを体感していただけるはずです。


僕のブログを読んでくださっている、
【癒しのエネルギー】を理解されている方々には
絶対に観てほしい、聴いてほしい、そんなステージです。

2017.07.19 / Top↑
少しだけ真面目なお話。

僕は施術をしながら、きっとその方にとって役に立つであろう色々なお話をさせて頂いています。

僕は【生命力】と呼んでいる、世間一般では【氣】という言葉で認知されているエネルギーにに関して、日々の暮らしの中でどのように役立てていくかについて、などなど。


【生命力】を自身の健康で豊かな人生に役立てようと考えたとき、僕は昔の人がよく言われていた言葉に大切なものがふたつあると考えています。

気功の世界では【氣の重心を下げる】とか言われていますし、いわゆる【スピ系】の人が大好きなインチキセミナーなどでは【グラウンディング】とか【アーシング】とか呼ばれていますが、日本でには昔から【地に足をつける】という言葉がありますよね。

この【地に足をつける】というのがひとつ。

そしてもうひとつは、西洋的な考え方で【リラックスする】と表現される身体の状態。これを日本では昔から【肩肘張らない】と表現しています。

でね。今日ここでお話ししたいことに関係するのはひとつめの【地に足をつける】ということについて。

僕の解釈では、【地に足がつく】というのは、

【生命力】という形で体内に取り込み使わせていただいている、一般には【氣】と呼ばれるエネルギーがちゃんと大地に根ざしている

という状態を示しているのですが、現代人のほとんどはこれが上手にできていません。

この【上手にできていない】ことをわかっていただくために、そして、決して難しいことではなく誰にでも簡単に【上手にできるようになる】ことをわかっていただくために、お話をしながら簡単な実験をしています。

どういう実験かと言うと、まず、全身の力をできるだけ抜いてただ楽に立ってもらいます。
その状態で、横から肩を少しだけ押してみると、【地に足がついていない】ほとんどの人は、びっくりするぐらい簡単に、身体が大きくグラついてしまうんですよ。

で、誰にでも簡単にできる色々な【地に足をつける】ための方法を試した後で、もう一度同じ実験をすると、今度はびっくりするくらい身体が安定して、いくら押されてもビクともしないほどどっしりと安定している、というオチ。

のはずなんです。


んが、ごくたまに、肩を横から押そうとすると力一杯踏ん張って、

【私の身体はビクともしない】でしょ?
何故なら【私はきちんとグラウンディングができている】からです。

というアピールをする人がいるんです。

すぐに分かります。そういう人って。

本当に身体が安定している人は、肩を横から押している力を急に抜いても、お身体はその位置にそのまま安定していますが、押されまいと踏ん張っている人は、急に押している力を抜くと、肩がこちら側にすごい勢いでズレますし、横から押す振りをして急に前後方向に押してみると、笑っちゃうくらいグラつきますから。

もし本当にビクともしないのなら、僕の施術を受けていただく必要も、僕の話を聞いていただく必要もないということですよね?

何で、そういう虚勢を張るんでしょう?その虚勢がもうひとつの【肩肘を張る】ってことなんですけど(笑)

そもそも、お身体の調子があまり良くないから僕の施術を受けて下さっているはずなのに、『私には、しげの言う身体の調子が悪くなるような原因はありません』っていうアピールは誰得なの?

何となくそういう心理もわからなくはないのですが、先日、そのアピールが極端にすごい人がいらっしゃいまして。

何を言っても全てのお返事には【でも】【だって】が付いてきて。変な意味で、施術が終わった時にはヘトヘトに疲れ果てていました。




でね。この【でも】【だって】攻撃を受けた翌日。本当にたまたま翌日だったのですが、関取の松鳳山関を施術させていただくことになりまして。
松鳳山関2リサイズ
松鳳山関3リサイズ


普段、いくつもある【地に足をつける】簡単な方法のお話をするときに、

武道の世界では稽古や実践に【地に足をつける】動作が伝承されていていて、その中のひとつに【足の裏を地面に叩きつける動作】があり、これは功夫(カンフー)の震脚(しんきゃく)や、お相撲さんのする四股踏みなどの形で伝承されています。

みたいなお話をしているぐらいですから、僕自身、お相撲さんの身体の安定度にはすごく興味がありまして。

自分でも本当に下世話だな、と思いながら日本相撲協会の番付表を見てみると、東前頭三枚目の松鳳山関って上から数えて16番目なんですね。

母数は623なので全力士の上位2.5パーセントに入る超一流の実力者ということなんですよ。

で、結果どうだったかというと、やはりすごい身体をされていました。
【地に足がついて】いる度合いが半端じゃないというか・・・。
僕が押したくらいでは本当にビクともしません。

でもね、

どんなに地に足が付いていたとしても、それよりももっと地に足がついている人なら、それを切ることもできてしまうんですね。

わざわざそんなことをする人はあまりいないと思いますが(笑)

そういうお話をしながら、
『ちょっとその地に足がついている状態を切ってみましょう』
というと、松鳳山関は
『是非お願いします』
と嬉しそうに同意してくださり、【地に足が付いていない】状態で小柄な奥様やうちのアシスタントに肩を押されてお身体がグラつくのを興味深そうに楽しんでおられました。

『白鳳関と取った時にはこんな感じだった』と言われていましたので、ひょっとしたら白鳳関は取り組みの最中に人の【氣】を切ることをやっているのかもしれません。

それはともかく、気が付けば

【生命力】という形の【氣】を上手く使えば、身体をもっとよく動かすことができる。それはきっと相撲を取ることにも役立つはずだ

というセミナーみたいな流れになっていきまして。

松鳳山関リサイズ


結果。

僕が自分自身をしっかりと本気で目いっぱい【地に足をつけた】状態にすれば、普段の松鳳山関の張り手をくらっても(とはいってもクッション材で完全防御)一歩後ろに下がるくらいで耐えられるし、反対に僕の張り手でも少しだけ松鳳山関を後ろに退げることができるけれども、

松鳳山関が普段よりももっと【地に足をつけ】れば、僕がどれだけ必死に耐えようとしても、張り手一発で吹き飛ばされ(死ぬかと思った(笑))、僕ごときの張り手では1ミリたりとも関取を退がらせることはできませんでした。

エネルギーが上手く使えれば、身体に頼らなくても色々なことができるけれども、エネルギーが上手く使えるのなら、反対にどれだけ身体を鍛錬しているかですべてが決まるんだな、と改めて教えていただきました。

そして、それよりも超一流の人って、どんな相手にも真摯に学ぶ姿勢を向けることができるんだということを学びました。


実は最近、松鳳山関だけではなく、空手の師範やダンサー、そしてボーカリスト&ボイストレーナーといった人たちとご縁をいただき、ご一緒させていただいたりしているのですが、どんな世界でも超一流と呼ばれる人たちの学ぶ姿勢って凄いんですよ。

自分の知らないこと、できないことをまず素直に認めた上で、真摯に学ぼうとする。

やっぱり超一流といわれる人は違う。

などと思っていたら、亡くなった兄貴が夢にでてきまして。

生前に言われたことと全く同じことを、念を押すようにもう一度言われました。

『偉そうに人に何かを教えようとするんなら、まずは絶対的な人格者になれ。そうすれば、どんな相手でもお前の伝えたいことを聞いてくれる。相手が人格者なら、お前の言うことも聞いてくれるだろうが、そうじゃなく、お前の人格でお前の話を聞いてもらわなければ意味がない。それができたうえで、誰よりも実力者になれ』


あぁ、あの【でも】【だって】攻撃は全部僕の力不足が生んだものだったのね・・・・。

深く反省。

そして、今取り組んでいるあの場所で、あれだけの個性豊かな才能達に認めてもらえるくらいの実力者になれるのかな・・・?

と、すごいプレッシャー。


頑張れ、わし(笑)
2017.04.08 / Top↑
今回は珍しく少しだけ真面目な話を。


最近、
【然るべきタイミングで然るべきご縁が繋がる】
ことを実感する機会に恵まれています。

本当に、僕の周りでは
びっくりするぐらい多発しています。


でね。実は、

子供の頃にはお祖母ちゃんに、
大人になってからは亡くなった兄貴に、
【正しく振る舞いなさい】
【礼儀正しく生きなさい】
としつこいくらいに躾けられてきたのですが、

それらの言葉は

【そうしていれば、本当に必要なときに
   必要なひとが必ず助けてくれるから】
【そういう人に、ちゃんと出逢えるから】

という言葉に繋がってました。
ここ最近のできごとで、
改めてそのことを思い出させてもらっています。



今、僕には
施術をサポートしてくれる相方がいます。


前述のご縁のほとんどは彼女が紡いてくれており、
アシスタントという言葉などではとても表せない
かけがいのないパートナーなのですが、
つい昨日のこと。


そんな彼女が、
治療院に通う途中、治療院のすぐ近くで
交通事故の現場に遭遇しました。

厳密な意味では目撃者ではなく、

ふと視線をやると
車と衝突したバイクの男性が
路上に転倒していた

という状況だったのですが、
すぐに救護活動を始めたようです。


幸いなことに、バイクの男性の
意識ははっきりしており、

止血等を行いながら、
僕のところに電話をよこしてきたのですが、
正直なところ、そういう状況下では
僕にできることなんてほとんどありません。


とはいえ、
負傷者の痛みを軽減するくらいなら
できるかもしれないということで、

僕もチャリを飛ばして現場に向かいました。
立ち漕ぎなんていつ以来だろう・・・・?(笑)



前にも少し書いたことがありますが、
僕は前職では交通事故の鑑定をしていました。

なので、現場を見た瞬間、
直進バイクと対向右折車が衝突したのだという
おおよその事故の発生状況はわかったのですが、

僕の現着から約3分ほどで、
チャリに乗って最寄りの交番から駆けつけてきた
お巡りさんは、
現場にいる人たちに向かって
【どういう事故なんですか?】
【それぞれどっちからきてぶつかったんですか?】
【誰か事故を目撃した人はいませんか?】
と聞いて回りました。



その時、
もう一人の当事者である
デイケアセンターの送迎車の運転者は、
僕のアシスタントが救護活動を行い、
別の若い男性が携帯電話から
119番に通報して現場の位置を一生懸命に
伝えようとしているところから少し離れ、
携帯から自分の勤務先に
言い訳がましい電話をしていました。


そして、

その場にいた人たちがそれぞれ異口同音に

【衝突の瞬間は見ていません】

とか

【衝突音が聞こえたのでそっちを見てみると
 バイクの男性が倒れていました】

という内容の回答をするたびに

何か安心したような表情を浮かべました。


その後、

お巡りさんがその男性に

【あなたが車の運転手さん?
 どういう状況でぶつかったの?】

と尋ねると、

僕が予想していた通り、
と言うよりは僕の予想を遥かに超えたレベルで、

保身のために殊更に自身を正当化しようと
【右折待ちで停止していたら
 対向してきたバイクが突っ込んできました】

と答えました。




こういうのって、実はすごく多いんですよ。

当たり前ですが、
仕事中に社用車で事故を起こした場合、
勤務先に事故を報告しなくてはなりません。

でも、
その事故が自分の非が大きい事故であればあるほど、
正直にそれを報告するのに勇気がいりますよね。


仮に、車を運転していた男性の申告する通り、
もし本当に右折待機の停止をしているところに
対向バイクが突っ込んできたのだとしても、

対向車線を3分の2以上塞ぐ位置まで
はみ出したところで右折待機をしていたのであれば、
事故発生の責任の大部分は
不適切な位置で右折待機をしていた
車側に追及されることになるんですよ。

でも、

一般の人にそんなことを知っている人は
ほとんどいませんよね。



つまり、その位置で停止していたのなら
【停止していないのとほとんど変わらない】
という評価なのに、
つい自身を正当化しようとして
そういう申告をしてしまいがちです。

そして、
そのような申告をしてしまう心根をベースに、
【自分は悪くない】
というスタンスでの主張を展開するのです。




でもね。


ある程度の知識や分析力のある者が見たら、
双方車両の破損状況や停止位置などから、
車が停まっていたのか動いていたのかなんて
一目瞭然なんですよ。


たとえばね。


あくまでも一般論としてですが、

走っている車が何かに衝突して
ヘッドライトが割れたとすると、
ヘッドライトの破片は直前の運動方向、
つまり、車の進行方向へ向かって
かなりの勢いで飛び散ります。

反対に、

停まっている車に何かが突っ込んできて
ヘッドライトが割れたような場合、
ヘッドライトの破片は車の真下に
こぼれ落ちるように散らばります。




そこまで専門的な見方をしなくても、

右折待機のためにゆっくり停止したのではなく、
ビックリして強くブレーキを踏んで停止した場合、
急ブレーキのタイヤ痕は印象されていなくても、
停止位置の直前のアスファルトには、
路面に浮いていた小石や砂が
アスファルトを擦ったような痕跡が印象されています。




或いは

目の前を斜めに塞いで停止している車に
対向のバイクが突っ込んだ場合、
ほとんど例外なくバイクの運転者は
車のフロントガラスやボンネットに
身体を衝突させますが、
双方が走行状態で同様の衝突が起きると、
場合によっては押されるようにして
ベクトルが変化して、
バイクの運転者が対向の車に衝突することなく
路面に投げ出されることがあります。





また、

バイクが対向方向からの車と衝突すると、
最初に衝突するのは前輪の前端部分となるため、
ほとんどの場合は前輪のリムに変形が見られ、
そのリムの変形の度合いにより、
バイクが受けたおおよその衝撃が推察されます。

その一方で、

運動物体が他者と衝突した際に受ける衝撃は、
保持している運動エネルギーが、
急激に運動を停止することで,
或いは急激に運動速度を低下させたことで
顕在化したものと考えられ、

その際に顕在化する、
運動物体が保持する運動エネルギーは
K=1/2×M(重量)×V(速度)の2乗
となるため、

交通事故による衝突の場合、
重量が重い側の
速度成分が大きければ大きいほど
衝突による損害は大きくなると考えられます。

分かり易く例を挙げると、

例えばフルマラソンを2時間半で走るとすると、
そのランナーの平均速度は時速約17キロです。

そのランナーがうっかりよそ見をして
(そんなランナーはいないでしょうけど)
停まっているダンプカーに衝突した場合と、

立ち止まっているランナーに
時速17キロで走ってきたダンプカーが
衝突した場合とでは、
ランナーが深刻なダメージを負うのは
どちらの衝突かはちょっと考えれば
すぐにわかりますよね。




他にも、
前輪のリムの変形している範囲、
つまり前輪の破損部位の角進度から
推定される前輪の回転速度=バイクの走行速度と
変形の度合いから推察される
衝突エネルギーの辻褄などからも
車の速度は推察できたり、

色々なファクターを考えあわせて
一般的客観的に事故の発生状況を
判断することは十分に可能なんです。
ある程度のスキルのある者なら、ね。



で、そうこうしているうちに救急車が到着し、
警察署からも多数のお巡りさんが到着して、
現場は一段と慌ただしく賑やかになりました。

その場にいた当事者以外の者は全員、
交通捜査係のお巡りさんに再度

【事故を目撃していないか】

と尋ねられ、
事故に気付いたタイミング
つまり目撃の計測性の高さによっては、
氏名や連絡先を聞かれます。

今回の場合でいうと、
救護活動をしていたアシスタントの彼女は
連絡先を聞かれ、

【全く見ていません】
と答えた僕は
【あぁ、そうですか】
で終わりました。


そんな中、
負傷者を気遣うでもなく、
騒ぎから少し離れた所で他人事みたいに
突っ立っている車の運転者が目につき、
その姿があまりに腹立たしかったので、

近付いて行って
【あなた、停まってなんかいなかったよね?】
と声をかけてみました。

すると、マンガみたいに分かり易く

ギクッ

としながら、しどろもどろな感じで
【いや、あの、右折待ちで停まってたら・・・・】
【え~と、あの・・・・、その・・・・】


なので、できるだけ怖い顔と声で

【僕はたまたま通りがかっただけなんだけど、
 交通事故を鑑定する仕事をしています】

【お巡りさんもそうだけど、
 車の破損状況や現場の様子などを
専門家が見たらすぐにわかるよ?】

【動転してるのはわかるけど、正直に言わないと】

【嘘はだめだよ、絶対に】

と念を押し、負傷者のそばに戻って
バレないようにこっそりと(笑)
痛み消しの施術を続けました。


交通捜査のお巡りさんも専門家ですから、
お巡りさんの下す判断はきっと
僕の見立てと変わらないはずです。


ほとんどの人は知らないと思いますが、
一般的には人身事故と呼ばれる事故、
要するに不幸にして負傷者が出てしまった交通事故は、

【交通事件】

として扱われます。

つまり、他者を負傷させてしまった運転者は

【わざとではないが、自動車を運転中に
 誤って他人様に怪我をさせてしまった】

罪を問われる
【被疑者】として

【取り調べを受ける】ことになるんです。



なので、
現場の状況と辻褄の合わないような発言は、
その真偽について徹底的に追及されるため、

少なくとも、お巡りさんからの取り調べに於いて、
事実と異なる内容の供述がまかり通ることは
ほとんどありません。


ところが、
警察への状況報告と、
保険会社への事故報告の内容が
全く異っている・・・・・。

こういう事例、実はかなりの頻度で見受けられます。

民事賠償についての要である
保険会社への事故報告については、

自分に都合の良い内容にアレンジされてしまい、

その後の示談交渉が
揉めまくることがとても多いんです。


保険会社も
交通事故に関しては専門家と言えますが、
難しく言えば

【利益相反】


分かり易い言葉でいえば

【保険会社ってね、
 お客様の言うとおりにしか
 事故のお相手と交渉できないんですよ】


というジレンマを抱えています。

つまり、保険会社は

【あれ?うちのお客さん、
 何か辻褄の合わないこといってないか?】

と思っても、民事賠償を代行する立場から、
自らの顧客に対してそれを追及できないんです。

そのため、
何となく違和感を感じながらも、
事故の相手方には顧客の主張に則っての
示談交渉しかできない・・・・。


こういうトラブルは、
保険会社への事故報告の際、

社用車なら、
運転者→勤務先→保険会社。

親の車なら、
運転者→親→保険会社

レンタカーなら、
運転者→レンタカー会社→保険会社

というふうに、
運転者と保険会社の間に
他者が介在するときに多くみられます。


でね。

救急隊員が負傷者を収容し、
アシスタントの彼女が別の救急隊員から
救護活動の際に手に付いてしまった
負傷者の血液等を
洗浄消毒してもらっている様子を
そばで見守っているときに、
少し離れたところに
手持ちぶさたな様子で突っ立っている
車の運転者の携帯に着信があったんですよ。

運転者の様子から、
明らかに勤務先から・・・・。


そしたらこのおっさん、性懲りもなく

【いやぁ、はい。だから、
右折待ちで停まってただけなんです】

【そこに対向してきたバイクがですね・・・・】


ほんま、このジジィだきゃ・・・・(怒)




前振りというか、状況説明が長くなりましたが、

たしかこのバイクの運転者さん、
最初に現場に駆け付けた交番のお巡りさんに
【仕事中です】
【バイクの(任意)保険には入ってません】
と言っていたんですよ。

とすると、今後の示談交渉は
相手の車の保険会社VSバイクの運転者個人
という図式で行われることになります。

自分側に
専門家である保険会社が付いていない示談交渉は
きっと難儀なものになるはずです。


そして、

この件について、僕は完全に部外者です。

アシスタントの彼女は、
辛うじて、関係者としてカウントされるかどうか、
そのギリギリのところにいると言えます。

なので、僕は当然ですが、
アシスタントの彼女ですら
今回の事故で負傷した
バイクの運転者さんが、どこの誰なのかを
知ることはできないんです。

その一方で、
バイクの運転者さんからなら、
アシスタントの彼女がだれなのかを
何とか知り得ることができます。


どういうことかと言うと・・・・

事故の当事者であるバイクの運転者さんが、
その立場から警察なり消防なりに

【事故現場で救急車が到着するまで手当をしてくれた女性に
 お礼を言いたいのですが、連絡先はわかりませんか?】

と問い合わせれば、
警察や消防は、まず彼女にその旨を伝え、
彼女が同意すれば、彼女の連絡先を教えてくれるはずです。



今の状況は、

今後の示談交渉でおそらくかなりの苦労をするであろう
バイクの運転者さんと、

ギリギリで事故の関係者にカウントされている
アシスタントの彼女、
そしてその後ろにいて
きっとお力になれるであろう
ハゲ頭の怪しい施術家

とのご縁の糸は
お互いのすぐ近くまで届いているといえます。


そして、
このご縁の糸が結わえるかどうか、
それは、
バイクの運転者さんが
彼女にお礼を伝えたいと思うかどうか。
ただそれだけにかかっています。

お礼を言われる側からの
こういう考え方は、ある意味
すごくおこがましいとも思いますし、
当然ながら、
お礼を言ってほしいとか、
お礼を言われるべきなどとは
これっぽっちも思っていません。

でも、
お祖母ちゃんや兄貴が
しつこいほど躾けてくれたこと。

【正しく振る舞いなさい】
【礼儀正しく生きなさい】

【そうしていれば、本当に必要なときに
   必要なひとが必ず助けてくれるから】
【そういう人に、ちゃんと出逢えるから】

というのはそういうことなんだろうな、と

身を以って体験させていただきました。





2017.03.12 / Top↑